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臥頭狂一のエロ小説ブログ。※18歳未満閲覧禁止。

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鄙、燃ゆる (49枚)


 半年前に、わたしはこの無医村地区へ派遣された。はじめのうちこそ村民の期待に応えようと熱意に燃えていたが、もう限界だ。一秒だってこんなところにはいたくない。この村の連中ときたら、腐りきっている。
 支えてくれた妻には悪いが、辞めようと思う。今夜、伝えるつもりだ。
 だが、帰宅すると妻の様子がおかしかった。疲れただけだと彼女はいう。大丈夫だろうか?
 翌日。村人の態度が一変していた……。



 大量に積まれたカルテをめくりながら、わたしは大きくため息をついた。もう限界だ。一秒たりともここにいたくない。できることなら今すぐ車に乗って逃げ出したいくらいだ。
 時計の針は二十二時をさしている。なぜこんな時間まで診察しなければならない? 訪れた患者には、誰ひとり急を要する病気や怪我などなかったというのに。
 ふざけている。こんな僻地の農村になど、来るのではなかった。
 派遣されたのは半年前だ。わたしはそれまで大学病院の勤務医として働いていた。自分でいうのもなんだが、優秀な部類に入る医師だったと思う。研究は好きだったし、目の回るほどの忙しさも耐えられないほどではない。充実した毎日だったといってもいい。
 しかし、あまりにも給与が低かった。仕事量に対して、報酬は微々たるもの。四年前に所帯を持ったこともあり、わたしは安定した生活を求めていた。いつまでも安アパート暮らしでは、妻もかわいそうだ。わたしももう三十六になる。将来を考えなければならなかった。
 無医村地区への医師派遣という話が持ち上がったのはそんなときだった。大学病院とて医師が余っているわけではない。しかしこれは政治的な話だった。大学や医局の勢力拡大のために、無医村地区をなくそうというお題目は都合が良かったのだ。
 今になって思えばうますぎる話だった。小さな診療所ではあるが、給与は病院勤務の約三倍。もちろん雇われではあるが院長待遇だ。一戸建ての住宅完備で賃貸料なし。引越し費用も向こう持ちだった。週に一度の休日に、盆正月のほかに春と秋にリフレッシュ休暇つき。
 わたしは飛びついた。このまま大学病院の勤務医を続けていても先は見えない。将来開業を考えるにしても、金がなければ話にならないのだ。貯蓄のためと割り切れば悪くない話に思えた。田舎で暮らすことに不安を覚えないでもなかったが、背に腹は変えられない。
 先輩医師からは「よく考えたほうがいい」とアドバイスを貰っていたが、右から左に流してしまっていた。ああ。あのとき素直に彼の話をきいていたら。わたしは頭の中の算盤で弾いた皮算用にとりつかれていた。
 半年前。わたしは妻を連れて過疎化の進む農村に着任した。診療所も貸し与えられた一戸建ての住宅も、比較的新しい。元からの無医村というわけではなく、前任者が老齢のために引退したからだ。看護士も診療施設にも不足はなかった。
 大げさな着任パーティーが、村の寄合所で開かれた。還暦間近の赤ら顔の村長以下、村のお歴々が歓迎してくれた。
「いやあ、先生、ありがてえこってす」
「こんな田舎まで来てくれて、ほんに助かりますわ」
 こちらが恐縮するほど、彼らはわたしたち夫婦をもてなしてくれた。病院施設のある隣町まで車で約一時間。自動車に乗れないお年寄りも多い。医師の存在は村民の生活に深く関わってくる。それだけに貴重に思われているのだろう。わたしは期待に応えるべく、身の引き締まる思いだった。
 しかし、熱意に燃える日々は長くなかった。
「先生。先生。もうお終いかい。具合悪いんだけんど」
 はじまりは診察時間外の訪問だった。村民は診療所を閉めたあとでも、平気でやってくる。「もう看護士を帰した」といっても納得しない。しかたなく、わたしは彼らを診た。ほとんどが診療の必要すらないようなものだった。擦り傷、目まい、立ちくらみ。なかにはただ世間話をしにくる爺さんもいた。
 大学病院に勤めていたときにも非常識な患者はいなかったわけではない。まだこれくらいなら笑って相手をできた。だが、彼らのわがままはしだいにエスカレートしてくる。
「先生! 先生! 鍵なんか閉めちまって、門前払いかい!」
 診療所向かいの自宅の玄関扉をガンガン叩かれる。休診日の、それも朝の五時だ。急患かと思って出てみると何のことはない。二日酔いで頭が痛いから薬をよこせときた。それでもわたしは堪えた。郷に入っては郷に従えという。相手は田舎の人だ。都会人ほど時間に正確に生きているわけではない。多少の非常識さは大目に見るべきだと。
 しかし、ことが金銭に絡んでくると話は別だった。渡された報酬は約束された給与の半分にも満たなかったのだ。病院勤務のときと変わらない額だ。それだけではない。診療所の経営に必要な予算すら削減されていた。これでは薬品も満足に揃えられない。
「いやあ、村議会の予算会議が、まとまらなくて、よお」
 赤ら顔の村長が、へらへら笑いながら頭を掻いている。冗談ではなかった。笑いごとでは済まされない。重大な契約違反ではないか。わたしは詰め寄った。
「まあ、まあ、先生。近いうちになんとかすっから、な? 慌てなさんな」
 半年経ったいまでもわたしの給与は満額に遠く、予算は削減されたままだ。足りない薬品や器材を、私財を投じて購わなければならない有様だ。貯蓄どころか貯金通帳の額は減っていく一方だった。
 村人もまた、日ごとに傲慢になっていく。
「あんだあ? こんな病気も治せねえってか? 薮医者が」
 小さな診療所では設備も人員も足りない。治療や検査にも限界がある。だが町の大きな病院での検査や通院を勧めても彼らは納得しない。何のための診療所だと、わたしを罵倒した。
「患者が苦しんでるんだ! 休まず働け!」
 休日などあったものじゃない。診療所の玄関に休診の札を出しているだけで文句をいわれる。リフレッシュ休暇などとれたものじゃなかった。
 わたしも医師のはしくれだ。急患なら休日返上で駆けつけもするが、休まず働けといわれる筋合いがどこにあろうか。
 彼らにいわせると、村立の診療所は自分たちの税金で成り立っている。だから文句をいう権利があるのだそうだ。しかし、村の財源のほとんどは地方交付税によって占められている。診療所の予算も、ほとんどがそこから出ているといっていい。村の税収だけでは、わたしの給与どころか診療所を維持させることもできないはずだ。大きな顔をしないでもらいたい。そもそもわたしは約束の報酬額を受け取ってもいないのだ。
「おう。俺だ。三時に往診に来い」
 尊大な村長の従兄弟は、代々続く有力者の一族だという。何代か前は大地主だったらしいが、いつも理不尽なわがままを通そうとする厄介な男だった。往診は受け付けてはいるが、ほかに診察を待っている患者がいるのだ。命に関わることならともかく、急に行けるわけがない。断ると烈火のごとく怒り狂った。
「余所者が、調子に乗りおって! 村に住めんくしてやる!」
 あきらかに脅迫だった。彼はそれからことあるごとに、わたしを「薮医者」「余所者」と罵った。彼だけではない。日に日に村民たちは図に乗り、態度を大きくさせていった。「ツケとけ」と、診療費の支払いもせずに帰っていく男もいる。「患者が待っているのに、飯かい」と昼食の休憩すらとらせまいとする年寄りもいる。
 ここまでされて耐えなければならないのだろうか。忙しいだけなら耐えられるが、謂れのない誹謗中傷の嵐。おまけに脅しだ。わたしはノイローゼになりかけていた。優しい妻が献身的に支えてくれなければ、とっくに精神をおかしくしていただろう。
 先日二十九歳になったばかりの美樹は、わたしの自慢の妻だ。ミス・キャンパスに選ばれたこともある美人さんだが、彼女の魅力は人柄にこそある。気立てが素晴らしく、常に相手のことを考えて話をする。芯に強いものを持っているが、頑固ではない。心が折れそうになったときは、心の底から励ましてくれた。わたしは彼女に何度救われたか知れない。
 結婚して四年経つが、いまだに美樹以上のパートナーがこの世にいるとは思えない。最上にして最高の女性を、わたしは妻に得ることができた。
 美樹は神経を疲弊させたわたしを慰めるだけでなく、村人との摩擦を緩和するために走り回った。
 週に二回の会合には欠かさず顔を出し、親睦を深めようとつとめた。会合といっても村の爺様どもによる宴会にすぎない。だがこの小さな農村では、そういった顔つなぎこそが重要なのだ。酔いどれ親父たちが村の実権を握っている。村八分にされないためにも、必要なことだった。
 彼らは自分たちの気に入らないものを排除する性質を持っている。余所者のわたしたちを、敵と認識しているのだろう。村人はわたしだけでなく、美樹へも敵意を向けた。妻は笑顔でかわしているらしい。けして逆らわず、村に馴染もうと懸命になっているのだ。ひどい罵声を浴びせられているだろうに、彼女はわたしに弱った顔を見せない。
 それだけではない。診療所の予算を元の額に戻すためにビラをつくり、一軒一軒を訪問して理解を求め、署名を集めてくれた。「自分でやりくり、せえ」と頑なに署名を拒む村人は多かったが、妻はあきらめない。年寄りの農作業を手伝ったり、町での買い物を頼まれたりした。地域に奉仕することで認められようと必死で頑張った。
 頭の下がる思いだった。ここまでしてくれる賢妻がいるだろうか? わたしには過ぎた妻だと思う。くじけそうになったときは、いつも美樹のがんばりを思い出して堪えていた。
 だが、彼女の努力は村人には届かなかった。針のむしろに立たされているような会合も、けなげなボランティア活動も、無神経な田舎者の心になんら響くところはなかったらしい。
「先生。どこであんないいオンナ捕まえたんよ。いい尻しとるげな。一晩、貸してくれやい」
 診察台の上で、会合に参加している親父が下卑た口調で笑う。冗談のつもりだろうが、笑えるはずがない。吐き気さえ覚えた。
「なあ、なあ。ああいう男好きするオンナは、激しいんか? 先生のチンポ咥えて、離さんのか?」
 わたしが不快感をあらわにすると、親父は逆に怒り出す始末だ。
「ちっ、気取りやがって。田舎者だと思って馬鹿にしとるんじゃろう」
 いったい、この村はどうなっているんだ。妻のことを卑猥な目で見られて喜べというのか。気が狂いそうだった。
 妻がボランティアで手伝った老婆が、待合室で得意げに語る声が耳に入る。
「いけすかないアマじゃ。色気ばかりふりまきおって。奴隷のようにこきつかってやるけんね」
 腐ってる。腐りきっている。こいつらはゴミだ。汚物だ。糞害以下の病原菌だ。人に値段がつけられるとしたら、こいつらは一円にも満たない。生きている値打ちの欠片もない。
 わたしはもう耐えられなかった。ここから出よう。こんな村にはもう一秒だっていたくない。
 派遣した大学の顔を潰すことになるだろう。医師としての経歴に傷がつくのも免れない。勤務医として復帰できず、アルバイト医師をすることになるかもしれない。それでも構わない。ここにいるよりましだ。
 半年にして、わたしはようやく決意した。今晩、妻に話すつもりだった。美樹は反対するだろうか。だが、この決意はなんといわれようと変わらない。彼女の頑張りを無にするようで心苦しいが、きっとわかってくれるはずだ。このままでは、わたしも妻もおかしくなってしまう。
 診療所の電気を消す。今夜はうるさい村人が診ろといっても無視するつもりだ。診察終了の看板を出す。いまではこの札を出すだけで「医者は休まず働け! 寝るな!」と気違いじみた文句が来るが、今日からは「やかましい!」と怒鳴りつけてやろう。


 自宅に帰ると、居間のソファに美樹がもたれていた。
「あ、あなた……お帰りなさい」
 眠っていたわけではないようだ。会合の日だったらしく、外出着のままだった。ひどく顔色が悪い。
「大丈夫かい? 会合で何か、あったのか」
「う、ううん。ちょっと疲れただけよ。いま、お食事の用意するから……」
 妻は立ち上がろうとして、ふらついた。あわてて支える。すこし熱があるかもしれない。からだが熱かった。じんわりと汗ばんでいる。
「今日は休んだほうがいい。食事は自分でするから」
 ここまで弱った美樹を見るのははじめてだ。弓矢のごとく浴びせられる罵詈雑言に、さすがの彼女も参ってきているのだろう。きついボランティア労働の毎日に、過労ぎみなのかもしれない。苦労ばかりかける。わたしはいたらない夫だ。
「ごめんなさい……」
 ぐったりした様子で、美樹は寝室へ向かった。かなり調子が悪そうだ。明日になっても具合が直らなかったら診察したほうがいいだろう。
 診療所を退去することを打ち明けたかったが、今日は無理そうだ。美樹の気分がよくなってから、ゆっくりと話をすることにしよう。
 久しぶりに作る男の手料理は、あまり美味くなかった。


 異変が起こった。
 診察を受ける村人の態度が一変していた。昨日まで口を開けば「薮医者」だの、「わしの番はまだか」だのギャアギャア騒いでいた爺婆どもがおとなしかった。わたしを見ると愛想笑いすら浮かべているではないか。悪い夢でも見ているのだろうか。
 面食らいながら診察を続けていると、赤ら顔の村長がやってきて事情を説明しはじめた。
「いんやあ、先生。今まですまんかったなあ。奥さんが署名集めに頑張ってくれた甲斐あって、ようやく予算もおりそうだわ。奥さん、昨日の会合で力説しとってなあ。先生ほど村のために尽くしてくれる医者はおらん! とな。いや、もっともなことでや。わしらは考え違いをしとった。先生が診てくれるからこそ、わしらは安心して働ける……」
 急に小声になって顔を近づける。二日酔いなのか酒臭かった。
「みんな奥さんの世話になって、心を入れかえたんだわ。ひひひ、いやあ、先生。いい奥さん持ったなあ。羨ましいかぎりじゃ」
 猫なで声が気持ち悪い。心を入れかえたって? わたしは村長のことばが信じられなかった。妻が奔走してくれたことは確かだが、奴らはあれほど馬鹿にしていたじゃないか。「奴隷のようにこきつかってやる」という台詞を、この耳ではっきり聞いた。どいつもこいつも、余所者のわたしたち夫婦を受け容れる気なんかまったくなかったはずだ。
「わしの名にかけて、もう二度と先生の悪口はいわさん。村民にも徹底させてあるからの。安心して診察に励んでくれや」
 村長が去った後も、患者たちの態度は変わらなかった。顔を皺だらけにしていままでの非礼を詫びていく。作り笑いの裏に何かあるように思えた。いつもは馬鹿にしたような目つきの看護士まで、今日は丁重に接してくる。気味が悪かった。
 いったい何が起こったのか。村長の説明では納得できない。美樹の努力が実った? そりゃ、彼女はよくやってくれた。村人たちの悪意にも負けず、一生懸命だったよ。けれども、それだけで性根の腐ったこの村の住人どもが改心するとは到底思えない。何か裏があるはずだ。
 確かに村長とその一族なら、村人の態度を変える力はあるかもしれない。だとすると、村長の心変わりは何のためだ? 政治絡み? 村議会を牛耳っているのは村長の一族だ。急激な変化は考えられない。
 思い当たるふしはない。わけがわからないまま、わたしはその日の診察をほぼ半年ぶりに定時で終えた。


 自宅に戻ると妻が笑顔で迎えてくれた。まだすこし顔色が良くないが、てきぱきと夕食を作りにかかる。よかった。このぶんなら体調はそう悪くなさそうだ。
「昨日……会合で大演説してくれたんだって? みんなの態度が一変してて驚いたよ」
 美樹を疑っているわけではない。しかし、どうしても信じられなかった。本当に彼女ひとりの力でこの閉鎖的な村が変わるものだろうか? わたしは半ば鎌をかけるように、妻に話しかけた。
「そ、そう……」
 否定しない。妻が会合で皆を説得したのは事実のようだ。
「何をいったんだ? 彼らがあんなに態度を変えるなんて、にわかには信じられなくてね」
「さ、さあ。誠意が通じたのかしらね。あなたが村のために、どれほど尽くしているかってことをいっただけなんだけど……」
 皿を並べる美樹の顔が蒼い。
「美樹……?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと目まいがしてて。先に休ませてもらって、いいかしら」
「あ、ああ……」
 妻はそそくさと寝室へ入ってしまった。胸の奥がざわついている。本当に体調が良くないだけなのだろうか? 昨日の会合で何かあったのではないか? 美樹の不調と村人の変貌。勘に過ぎないが、そのふたつには関わりがある気がした。
 しかし、彼女を問い詰める気にはならなかった。少なくとも今夜は。美樹が体調をくずしているのは間違いない。「昨日何があった」などと追求するのは、夫としての思いやりに欠けた行動だろう。そっとしておくべきだ。
 なに、元気になったら自分から話してくれるさ。きっと頭の固い村人どもを説得するのに疲れただけだろう。わたしは自分にいい聞かせ、愛妻料理を口にした。
 久しぶりに定時に帰ったせいだろうか。仕事量が少なかったおかげで、身体が求めていないのかもしれない。いつもより、塩かげんがきつい気がした。


 数週間を経ても村民の顔から引きつったような笑みは消えなかった。村長が宣言したとおり、厭味や罵声を浴びせられることもなくなった。
 心からわたしに敬意を持っているのではないことは容易に読み取れた。作り笑いのなかに、どこか馬鹿にしたような嘲りの情が感じられる。
 たぶん、村長と有力者の一派にいい含められているのだろう。医者の機嫌を取っておけと。しかしその理由が未だにわからない。村長もほかの村人と同じく、わたしを余所者扱いしていたはずだ。あの赤ら顔を心変わりさせたものはいったい何なのだ。
 辞めようという決意は揺らいでいた。村長の言葉が真実なら、報酬はきちんと支給され、診療所の予算もおりる。村人による嫌がらせもなくなったし、はっきりいって居心地は悪くない。しかし、どうにもすっきりしない。変化の理由をはっきりさせないことには納得できない。働いていても気分が良くなかった。


「ただいま」
 今日も定時で帰宅。このところ残業はまったくない。肉体的な疲労もほとんど残っていなかった。
「お帰りなさい」
 出迎えた美樹はラフな格好だった。まだ十九時過ぎだというのに、パジャマ姿だ。お風呂を出たばかりなのだろう。アップにした髪がまだ湿っていた。
「すぐ、ご飯作るわね」
 メイクはすべて落としているが、肌はつやつやとしている。湯上りの頬がすこし赤い。シャンプーのいい匂いがした。思わずわたしは妻の手首を握りしめていた。
「……あなた?」
 わたしはすっかり欲情していた。久しぶりのことだ。思えばこの村に派遣されて以来、忙しさにかまけて夜の営みを絶やしていた。時間と体力に余裕が出来て、妻のうつくしさを再認識したというところか。
「美樹……」
 したくてたまらなかった。食事なんかしなくてもいい。今すぐ美樹を抱きたかった。開いた胸元に手を伸ばす。
「い、いやっ……!」
 手を振り払われ、わたしは呆然と玄関廊下に立ち尽くしていた。彼女は身を守るようにからだを縮めて震えている。
 拒まれた。夫婦になってはじめてのことだった。玄関先だったし、配慮を欠いていたのかもしれない。だが、これではまるでわたしがレイプしようとしたみたいではないか。こんなに強く拒絶されるとは、思ってもいなかった。
「ご、ごめんなさい……ちょっと疲れていて……」
 おびえているように見えた。目尻に、涙が浮かんでいる。
「そ、そうか……」
 わたしは少なからずショックを受けていた。美樹の乳房に触れようとした手が震えている。わたしに触れられるのが嫌だったのか。疲れているというだけでは、とても説明がつかない狼狽ぶりだった。いつの間にか、夫婦の絆は失われてしまったのだろうか。
 食事の最中も気まずい空気が流れたままだった。話しかけることがためらわれた。彼女も同じかもしれない。
 食事が終わるとわたしはひとり、居間に取り残された。妻は「疲れている」といって寝室へ向かう。このところ毎日だ。わたしと顔を合わせてるのを避けているようにも思える。
 夫婦間の会話も極端に減っていた。必要なこと以外話していない気がする。わたしが自宅にいる時間は、以前よりずっと増えたというのに。そういえば美樹の笑顔をしばらく見ていない。いつからだろう?
 そうだ。村人の態度が変わったころからだ。あのころから美樹は疲れやすくなり、夫婦間もぎくしゃくしたものとなった。やはりあの前日の会合で、何かあったのだ。そうに違いない。それはいまや確信に変わっていた。それなら何故わたしに打ち明けてくれない?
 わたしは未だにあの日寄合所で何があったのか、妻に問いただせないでいた。そのうちに話してくれるだろうと高をくくっていたのだ。美樹を信じてもいた。何かあったのなら夫であるわたしに話してくれるだろうと。それがどんな内容であろうと、わたしは受け止めるつもりでいた。夫婦なのだ。信じあえていると思っていた。
 だが、今日の美樹の態度を見るかぎり、それもあやしい。体調の優れない日もあるだろう。求められてもセックスをしたくないときもある。わたしにもそれくらいの理解はあるつもりだ。けれども、あの拒みかたはないだろう。性交だけでなく、わたしそのものを拒絶されたような気がして、胸がきりきりと痛む。
 訊くべきなのだ。あの日何があったのかを。そうしなければわたしたちは駄目になってしまう予感がしていた。
 しかしわたしはそうしなかった。戸棚からウイスキーを取り出し、グラスに注ぐ。しばらく口にしていなかったアルコールだ。喉が熱い。今夜は我を忘れるまで飲むつもりだった。


「……ただいま」
 鬱々とした気分で帰宅する。苛立ちがおさまらない。愛想笑いを浮かべる村人たちへの診察も、ぶっきらぼうに対応してしまっていた。薄ら笑いが気に入らなかった。純朴な農民という顔をしながら、腹では何を考えているか知れない。この村の住人を、わたしは憎みはじめていた。
 妻は留守だった。今日は会合の日だといっていたのを思い出す。寄合所で村の有力者どもに酌をしてまわっているのだろう。
「亭主を放っておいて……」
 村長の赤ら顔を思い出し、わたしは腹を立てていた。いまごろ妻の酌を受けてにやけているのだろうか。会合に出ることが、わたしや診療所のためだということはもちろん理解している。だが理不尽な怒りはおさまらなかった。妻に拒まれた昨夜のことが脳裏にちらついてもいる。
 食卓には夕食が用意されていたが、食べる気にはならなかった。食欲などまったくない。食べてももどしてしまいそうだった。鞄をソファに放り投げると、わたしは棚からウイスキーを取り出した。ずいぶん減っている。今日でなくなってしまうかもしれない。
 昨夜もそうだったが、まったく味を感じない。美味くもまずくもなかった。ただ、酔いだけがまわってくる。それで充分だった。酔うためだけに飲んでいるのだから。
「………………」
 飲んで憂さをはらすつもりだったのに、逆に胸がむかむかしてくる。妻の帰りが遅いことも影響していた。二十一時を回ろうとしている。会合は十七時からのはずだ。いくらなんでも遅すぎる。いつまでクソジジイどもの相手をしているんだ。いいかげんにして帰って来い。
 いや、ひょっとすると興に乗った親父どもが帰さないのかもしれない。きっとそうだ。会合には美樹のことを「男好きする女」呼ばわりしたエロ親父も参加している。わたしは急に不安になってきた。
 わたしはソファから腰をあげた。背広を着ると、車のキーを手にする。少しふらつくが問題はなかろう。向かう先は寄合所合い所だ。完全な飲酒運転だったが、この村では咎める者などいない。鬱屈した気分で車に乗り込むとアクセルを踏み込んだ。
 対向車は一台もなかった。まったくひどい田舎に来てしまったものだ。車道を照らす灯りすら満足にない。気をつけないと田んぼに転落してしまいそうだ。
 寄合所の電気は点いたままだった。古びた建物の周囲数キロに家屋は存在せず、暗闇に浮き上がって見える。無駄に広い駐車場には、車が何台か停まっていた。そのなかには、妻のものもあった。
 会合という名目の宴会は、まだ続いているらしい。いい気分で騒いでいるのに違いない。いったい何時だと思ってるんだ。こんな遅くまで人の妻をつきあわせるなど、非常識にもほどがある。わたしは村長と諍いを起こしてでも、美樹を連れて帰るつもりだった。
 この村の人間にはもううんざりだ。気に入らないなら出て行ってやろうじゃないか。へらへら笑いやがって。
 玄関に入ると、アルコールの匂いに混じってむわっとした異臭が鼻を刺激した。いったい何だ。汗の臭い……いや、それだけではない。鼻を押さえながら、わたしはきしきしと音をたてる板張りの廊下を歩いていく。
 胸の動悸がはげしくなる。飲みすぎたせいだけではない。脚が重かった。引きずるようにして、わたしは会合が行われている広間へと向かっていった。
 近づくにつれ、臭いはきつくなっていった。吐き気がするほどだ。嫌な予感が頭のなかで渦を巻き、胸を締めつける。
 広間のふすまの前で、数秒ほど迷った。だがここまで来たのだ。いまさら引きかえすわけにはいかない。わたしは意を決してふすまを勢いよく開け放った。
「っ…………!」
 ことばが出てこなかった。悪夢としか思えない。こんなことが現実であるわけがない。網膜に写しだされた光景を、わたしは信じることができない。
 誰か嘘だといってくれ。頼むから、夢から目覚めさせてくれ。
 異臭の原因は、美樹だった。浅黒い肌をした男たちに組み敷かれ、苦しそうにうめいている。誰もが全裸になっていて、わたしの妻は白濁の液体にまみれていた。
 大きく広げられた脚の間に入っているのは、村長の従兄弟だった。いつもわたしを呼びつける、傲慢なあの男だ。たるんだ下腹を押しつけて、必死で腰を振っている。毛の生えた尻が汚らしかった。
 顔に跨っているのは、美樹のことを「男好きする女」呼ばわりした男だ。腰を浮かせて小刻みに上下させている。こちらからではよくわからないが、男根を口に含ませて突き立てているのだろう。
 比較的若いのは美樹を責めているそのふたりだけで、他の者はみな還暦を越えている。囲むように座りこんで、酒の入ったグラスを手にしていた。萎びた肉体を隠そうともしない。だが、誰もが股間のものを屹立させていた。
「おや、旦那のお迎えかい」
 呆然としているわたしに声をかけたのは、よく見知っている男だった。赤ら顔の村長。彼もまた全裸だった。醜く肥えた裸体を、恥ずかしげもなく晒している。わたしはまだ返事ができる状態ではなかった。
「おほっ、ほら、奥さん。はやくしぼりとらねえから、旦那が来ちまったでねえか」
 顔に跨っていた男が怒張を引き抜き、美樹の髪をつかんでわたしに向ける。紅いくちびるのまわりには粘った液体がへばりつき、吐き出される息は不規則だった。妻はわたしの姿をみとめると、黒い瞳を涙で濡らした。
「あ、あなた……おねがい……見ない、で……」
 やっと口にしたことばは、わたしにたいする救いを求めるものではなかった。美樹は「助けて」とは口にしなかった。
「おお! おおっ! で、出るっ……!」
 股間を貫いている男が、猛然と汚い尻を動かす。大きな睾丸が白い尻に何度も打ちつけられていた。男はわたしがここにいることなどまるで意に介していない。快楽を得ることだけに夢中になっている。
「いっ、いやっ……! おねがい、やめてっ! 中は……!」
 身をよじろうとするが、胸の上にも男がひとり跨っている。抵抗はむなしかった。男は白い太股を抱え、さらに動きを早めていく。
「ほひひっ……!」
 おかしなうめき声をあげて、男が痙攣をはじめた。腰をめいいっぱいに押しつけている。陰嚢と尻がひくひくと収縮するのが見えた。精液が何度も吐き出されているのは間違いない。妻は膣の奥深くで射精されてしまっていた。
「ふいーっ……」
 無造作に、男が肉棒を引き抜く。少し遅れてぽっかりと開いた膣口からとろとろと白濁液が逆流をはじめた。あきれるほど大量の精液だった。
 美樹は男が離れた後も脚を大きく開いたままだった。陰毛の薄い性器を晒している。割れ目の周りも、恥丘の上も、太股までもが白液だらけだった。
「ほれほれ、奥さん、まだおつとめは終わってねえべ」
 虚ろな瞳でこっちを見ている妻の頭を、乳房の上に腰をおろしている男が自らの股間に引き寄せる。紅いくちびるがためらいなく開き、剛直を受け容れた。
「ひへへへ、ショックだべ、先生」
 下卑た笑い声をあげたのは赤ら顔だ。畳の上に胡坐をかいたまま、わたしを挑発するように肉棒を擦っている。
「あんたら……何……やってるんだ……」
 声が震えていた。何をいっていのか、わからない。どうしていいか、わからない。あまりにも非現実的すぎた。こんなことがあっていいはずがなかった。
「いつまでも村に慣れようとせん先生に代わって、奥さんがからだ張ってくれとるんじゃろうがよ」
 見物していた還暦過ぎの痩せた男が美樹の足もとに座った。体液が付着した股間を撫でまわす。小さな突起に指が触れると、白い裸体がぴくりと小さく跳ねた。
「ひひひ、いいまんこじゃあ」
 男は我が物顔だった。いまだ白濁の液体があふれる膣に指を侵入させていく。男根を咥えさせられている紅唇の間から、くぐもった声が漏れた。
「何本もチンポ扱いた後でも、こんなに吸いついてきよる。ひひひ、好きものが」
 指を出し入れするたびに短いあえぎ声がこぼれ、長い脚がぴくぴくと揺れる。
「こんなことをして、ただで済むと思ってるのか!」
 激したわたしの声は、しかし、どこか弱々しかった。
「思うとるよ。ここじゃあ、わしらが法律よ。駐在も役所も、わしらには逆らえん」
 グラスを片手に、村長の従兄弟が誇らしげに宣言する。存分に美樹の胎内に欲望を吐き出し、満ち足りた表情だった。
「馬鹿な、ことを……警察は村の外にもいるんだぞ」
「それには、奥さんの証言が必要じゃなあ。ほれ」
 村長がテーブルの上から何かを投げてよこした。写真のようだ。震える手で、わたしはそれを拾いあげた。そこには男たちに犯される妻が、はっきりと写っていた。
「まだまだあるぞ。わしのチンポを喜んでしゃぶっとるのや、片足あげて小便しとるのもある。DVDに録画したのもあるでよ。お望みなら村民だけでなく、大学病院の先生がた、そしてご両親にも贈呈させてもらうでや」
 赤ら顔は勝ち誇ったようにわたしをせせら笑った。もう限界だった。理性というものが弾ける音を、わたしは生まれてはじめて脳の奥で聞いた気がした。
「貴様あああっ!」
 だがしかし、振りあげた拳は赤ら顔には届かなかった。わたしは横から村長の従兄弟に殴り倒されたのだ。
「ふん。モヤシみてえにひょろひょろしやがって」
 情けないことに、たったの一撃、顎を殴られただけで身動きがとれなくなってしまっていた。脳を揺らされたらしい。わたしは畳に頬をつけたまま、彼らを睨みつけることしかできなかった。
「なんじゃ、その目は!」
「ごふっ!」
 腹を蹴られる。酒を飲んでいたこともあり、わたしは胃のなかのものを逆流させてしまった。畳の上に吐瀉物が広がっていく。
「だいたい薮医者のくせに態度がでかいんじゃ、おまえさんは。わしらを田舎者と馬鹿にしおって」
 赤ら顔の足が、わたしの頬を踏みにじる。村長の顔にいつもの笑みはなかった。わたしを憎悪しているように見える。
「そこでおとなしく見物しとれ。この女はもう、わしらのもんじゃ」
 美樹は床に這わされていた。男たちが群がった。白いお尻をつかんだ男に後ろから貫かれ、口には新たな男根を頬張っている。右手は違う男の肉棒を丁寧に擦り、左側にいる男は手を伸ばして乳房を乱暴に揉みしだいていた。
 男女の体液の臭いが、広間に充満している。年寄りといってもいい男たちに責められ、美樹は苦悶の声を何度もこぼした。しかし男たちの手が緩まることはない。射精しては交替し、続けざまに貫き、奉仕させる。まるで立小便をするような気軽さで、わたしの妻は汚されていった。
 わたしは抵抗する気力を失っていた。しばらくすると身体の自由がきくようになっていたが、畳に頬をつけたまま、成り行きを眺めていた。妻は口にしなかったのだ。「あなた、助けて」と。
「ひうっ……はあ、あんっ……」
 ようやく宴も終わりの時が近づいていた。美樹の相手はひとりだけになっていた。老人たちは疲れきった顔をして、煙草をふかしながら遠巻きに見ている。わたしを気にしている者は誰もいなかった。
「ひひひっ、どうじゃ、美樹。ええじゃろが、ええじゃろが!」
 責めているのは美樹を「男好きする女」と罵った男だ。上から覆いかぶさり、猿のような形相で腰を打ちつけている。いったい何度目なのだろう。わたしが見ていただけでも、こいつは四度射精している。口に二回。膣内に二回。美樹は口に吐き出されたものをすべて飲みほした。この男のだけじゃない。何人もの男の汚濁が、白い喉を通っている。
「はあっ、はあっ……ふぅ、んっ……んっ……」
 美樹の瞳は虚ろで、すでに正気を失っているように見えた。無理もないかもしれない。輪姦はもう数時間に及んでいるのだ。わずかに開いたくちびるの間から、吐息とともに喘ぎが断続的に漏れている。
「どうじゃ! わしのチンポは! 旦那のフニャチンよりよかろうが! ええ?」
 男は彼女の顔を何度も平手で張った。呼び捨てにすることといい、まったく遠慮がなかった。美樹はこの男に、この村の男たちに征服されていた。そしてそれは、身体だけのことではなかった。
「あうっ……ん……は、はい……」
 甘い吐息とともに、美樹の口が開く。瞳に、色が戻っていた。
「はっきり、いわんか! 亭主より、ええじゃろが!」
 男の息が荒い。疲労困憊しているだけでなく、限界が近いのだろう。声にも余裕が感じられない。尻が大きくへこみをつくっていた。
「んぅ……はいっ……いい、ですっ……! あの人より、ずっと、いいっ……!」
 美樹はわたしが同じ場所にいることを忘れているようだった。熱に浮かされたように、男の望むことばを口にする。いわなければさらに頬を叩かれるのかもしれない。しかし、少なくともいまの彼女は正気を取り戻していた。
「ひひひっ、そうかそうか! わしのチンポはそんなにええか! よし、たっぷり出しちゃる! 美樹のまんこにたっぷり注いじゃる!」
 男は腰を振りたてながら、美樹の顔を両手で挟んだ。血走った目を見開いたまま、いまだ白液のこびりついたくちびるを貪る。
「んんっ……ん……ちゅ……」
 妻は抗わなかった。それどころか男の首に手を廻し、自ら男の口を吸った。男の頬がかたちを変える。ふたりの口は合わさったままだった。美樹の舌が、男の口内を舐めまわしているのだ。
「んむおおっ……!」
 男が吠える。鼻から漏れたような声だった。腰をぴったりと美樹の股間に押しつけ、びくびくと震わせている。今夜最後の射精が行われているのだ。この広間にいた誰もがそうしたように、膣奥へ突きこんでの吐精だった。男の鼻息は荒く、息苦しそうだったが、ふたりの口は重なったままだ。
「んむうう……」
 がっくりと白い裸身にもたれる。最後のひとりであり、交替する必要がないせいか、男は余韻をじっくりと愉しむつもりらしかった。男根を膣内に挿しこんだまま、美樹の髪を撫でる。
「ん……えう……」
 ふたりのくちびるは離れたが、舌は名残を惜しんで絡み合っていた。美樹は自分から舌を伸ばし、ぺろぺろと男の舌や荒れた唇の周りを愛撫した。まるで愛する男にするように。薄く開いた目が、優しく男を見つめている。
「よっこらせ、と」
 見物していた男たちが立ち上がる。脱ぎ散らかした衣服を集め出した。
「わしらはもう変えるでな。美樹、後片付けをしっかりするんじゃぞ」
 赤ら顔たちが服を着て、去っていく。事後の口づけを味わっていた男も、皆に続いた。体液で汚れた肉棒を、美樹の口で清めたあとで。
 広間には、わたしと美樹だけが残された。



 車のドアを締める。外出は久しぶりだった。村の外に出たのはもう何ヶ月かぶりになる。ちょっとした開放感を惜しみながら、車のキーを回す。もう村に戻らなければならない。
 車内が臭い。頭が痛くなりそうだ。この匂いが好きだという人がいるがわたしには理解しがたい。だがあとすこしの辛抱だ。今夜ですべて終わる。
 アクセルをゆっくり踏み込む。フロントガラス越しに見る星空が綺麗だった。本当に、景色だけは素晴らしい。景色以外に褒めるところがあるとすれば、この澄んだ空気だろう。それすらも今となってはいまいましい。この空気が汚染された住人をつくりだしたのだから。今夜は村人自慢の空気さえ、汚してやるつもりだった。
 寄合所での一件以来、診療所は閉鎖されたままだ。休診日の札がかけられてからもう二週間が経つ。わたしはすっかり働く気力を失くしていた。あんな奴らを患者として診れるわけがないだろう?
 確かにあいつらは病気だ。心の病だ。いや、脳が細菌に侵されているのかもしれない。どちらにしろ、わたしに治せる病気じゃない。そろって頭がいかれている。きっと、世界中探しても治療できる医者はいないだろう。どんな名医でも奴らは治せない。しかもあれは伝染する。美樹は……わたしの妻はすっかり村人と同じ病気に感染してしまっていた。
 彼女の言葉を信じるなら、最初は完全な強姦だった。会合のあと、村の有力者である爺いどもに残るように言われ、襲われたんだそうだ。そのときに写真や動画を撮られ、脅迫されるようになった。問題はその後だ。
 わたしと診療所への攻撃を緩めるのと引き換えに、美樹は継続して身体を差し出すことを要求されたという。彼女はその条件を呑んだというんだ。しかたなかった、と。
 老人どもの性欲処理をする見返りが、村人たちの作り笑いだったというんだ。我が妻ながら、頭がどうかしてしまったんじゃないかと思う。そんなことをわたしが望むとでも思っていたんだろうか。わたしは憤るよりも笑ってしまった。
「ひどい……笑う、なんて……」
 美樹は嘲笑うわたしの前に泣き崩れた。ひどいのはどっちだ。なぜそんなことになる前にわたしに相談しなかった? 強姦されて写真や動画を撮られた。彼女にとって最悪の事態だったし、もちろん人に知られたくないことだろう。それは理解できる。けして小さくない傷を、美樹は負ってしまった。
 しかしわたしは夫だぞ? 夫に強姦されたことを隠しておいて、そのあげく身体を売っているのと同じじゃないか。わたしの為になるから我慢していたと? 犠牲になったつもりだというのか。なぜわたしに話さなかった。たしかに強姦されたという事実を知ったわたしはショックを受けるだろう。だが、それで妻を見捨てるような男では断じてない!
 わたしにも非があったことは認める。もっと早く問いただしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。でも、わたしは妻を信じていた。信じていたんだ! わたしたち夫婦の絆は、どんな苦境にも負けないものだと思っていた。いつまでも愛し合えると、確信していたのに。
 結局、わたしたち夫婦は信頼しあえてなどいなかったというのだろうか。あの寄合所でも、彼女はわたしに助けを求めてなどいなかった。それどころか、下衆な男に自分から口づけをする始末だ。心から愛する男にするように。わたしにすらしなかったことを!
 ……いや、違う。違うんだ。美樹が悪いんじゃない。
 これは病気……そう、病気なんだ。美樹は自分からそんな淫らなことをする女じゃない。わたしの前でほかの男を求めるわけがないじゃないか。村に蔓延する伝染病に侵されてしまっただけなんだ。そうに決まってる。
 そうじゃなきゃ、今でも美樹はわたしの横にいるはずなんだ。診療所を辞めて村から出て行こうといったわたしに、黙ってついてきてくれたはずなんだ。写真や動画が奴らの手にあったって、勇気さえあればなんとでもなるじゃないか。わたしがついている。警察に告発して、この腐りきった村を一網打尽にできたはずなんだ。
 なのに……彼女はわたしを捨てて出て行った。わたしよりも、この村の汚染された住人になることを選んだんだ。病気に感染していなければ、こんなことは考えられない。
 ……残念ながら、この病気を治療する方法はない。治療する方法は。きっと誰にも治すことはできない。
 けれども……わたしはきみの妻だ。いまでも、もちろん愛している。だから、救ってあげるよ。見捨てたりなんかしない。いつまでも一緒だ。ずっと一緒にいるとも。わたしたちは、夫婦なのだから。


 寄合所の電気は点いている。今夜もあの外道どもは、獣のようにわたしの妻に群がっているのに違いない。だがそれも今夜で終わりだ。貴様らの脳を侵している病原菌とともに地上から消え失せるといい。
 車のトランクを開ける。悪路を辿ってきたので、すこし漏れてしまっているようだ。ひどく臭う。本当は違法なのだが、今はそんなことをいっていられない。ポリタンクを次々と降ろしていく。
 しばらく引きこもっていたせいか息が切れる。だが、やり遂げなくては。
 ポリタンクの蓋を開け、寄合所の周りに撒いていく。外なら平気かと思ったが、思ったより臭った。気づかれなければいいが。逃げられては元も子もない。しかしまったく人の出てくる気配はなかった。広間での乱交に夢中になっているのだろう。
 次は灯油だ。木造の壁、そして玄関と非常口に重点的にふりかける。充分な量のはずだ。
 すべて撒き終えたころには、わたしは肩で息をしていた。もっと体力があったと思ったが、やはりトシだろうか。だがもう終わりだ。あとは一瞬で終わる。
 ポケットからマッチを取り出し、擦った。点火した炎は頼りなく、小さかった。儚い炎を見ながら、ふとむかし見た小さな夢を思い出す。燃え尽きる直前まで待って、わたしはマッチ棒を放った。
 あっという間に炎が燃え広がっていく。一分と待たずに、寄合所は猛火に包まれた。予想通り、玄関に撒いた大量の石油は大きな火柱をつくった。これでは逃れようがあるまい。
 しかし、念には念を入れておくべきだ。わたしは車に乗り込み、エンジンをスタートさせた。フロントガラスにはめらめらと音をたてて燃える玄関が写っている。死への恐怖は不思議とまったく沸いてこなかった。足をアクセルに置き、一気に踏んだ。
 燃えさかる木造の玄関に突っ込む。ベキベキと年季の入った引き戸が崩れる音がした。あとは時間の問題だ。車のガソリンに引火し、大きな爆発が起こるだろう。
 フロントガラスから見える赤い炎が、わたしの目に写る最後の光景となった。


テーマ:18禁・官能小説 - ジャンル:アダルト

  1. 2010/03/15(月) 16:16:16|
  2. 短編
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臥頭狂一

Author:臥頭狂一
(がとうきょういち)
 日々、頭痛に悩まされながら官能小説を書いています。
 いろいろなジャンルに手を出していくつもりです。よろしければ読んでいってください。
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